0.前文(読まないでいいです。)
こんにちは赤槻です。
最近、新番組がたくさん始まっていますけれど、どうもそっちより人気のあった作品の再放送のほうが楽しく見られてしまうので困っています。それは人気があるだけ面白いということなのでしょうが、自分としては新鮮な楽しさがほしいし、最新の情報はチェックしたい。しかしどうしても再放送の方を優先してしまう。こういうことってありますか?ちなみに再放送を見ているのは、ミルキィホームズ、アクエリオン、マクロスF、ソウルイーター、銀魂、灼眼のシャナとかです。あと何かあったかな…。
まぁこれは本題ではないのでおいておくとして、新番組について感想を書こうかと思っていたのですが、どうも筆が乗らない。というか、レポートをやんなきゃいけないのの逃避で何か書こうかと思ったのですが、何も感想は思いつかなかったので、別のことについて考えてみました。それは「ギャグ漫画」についてです。最近ボーボボを読み返しているからこんな発想になっているのだとは思いますが意外と面白い題材だと思うので文章を書いてみます。そもそも自分の好きなジャンルはギャグもしくは意能力バトルなので、この題材は結構ぴったり(?)だと思います。ちなみに漫画というのは一般的な漫画本のことではなく、アニメも含めての漫画文化のことを指しているのであしからず。
それではいい加減に本文を始めましょう。
1.ギャグの共通性
ギャグ漫画とはなにか?それは人を笑わせるために作られた漫画である。ついつい声をだして笑ってしまうような、もしくは、顔をほころばせてしまうような作品のことである。とは言ってみたものの、ギャグ漫画の定義は極めて曖昧だ。ではギャグ漫画以外の作品というのはどのようなものがあるだろう。たとえば、サスペンス・推理・サイコのようなシリアス系、友情・恋愛・ドキュメンタリーのような感動系、バトル・レース・変身ヒーローなどのアクション系など多種多様なものが考えられる。もちろん一意的なジャンル分けはできないし、実際にはオーバーラップしていることも多いだろう。しかし、逆にだ、ギャグとオーバーラップしていない漫画作品というのはなかなか思いつかない。(私は漫画に詳しいわけではないので、そもそもこんな文章を書くのがおこがましいのだが、ギャグ漫画好きは自負しているので臆面もなく以下のような人物を知ったように語るのをお許しください。)赤塚不二夫はじめ、漫画と笑いという要素はいかにも不可分なものとしてとらえられるが、どうだろうか。戦後漫画の祖と呼ばれる手塚治虫についてもそうだ、かのシリアスな名作ブラックジャックについてもギャグは含まれている。戦前の作品であってもそれはあまり変わらないように思える。たとえ劇画の風刺絵にしったってそこには笑いが存在したはずである。はてさて、偉そうなことを言ったが、もちろん過去にはシリアスな話のみを純粋に描こうとした作品も多くあっただろうなということは簡単に想像はつく。しかし、現在残っている多くの作品はそのような作品ではない。とすれば、過去100年も満たない漫画の歴史を支配し続けたのはギャグ漫画といっても過言ではないのであろうか。漫画はその絵の性質からだろうか、ギャグとの相性が非常によかったのである。
2.元来のギャグ漫画
はてさて、ギャグと一口にいっても、漫画に様々なジャンルがあると同様に多くの切り口を持っている。自分の知っている作品で一番最古のものだろう、「サザエさん」については日常生活に潜む笑いを四コマで見事に描いて見せる。もちろん、アニメ版についても見事な面白さだ。アニメ版については脚本家が相当頑張っていると言える。たった4コマの漫画をおよそ8分間に引き伸ばしているのだから。もしも原作通りにアニメにした場合、一週間のための一本で、新聞連載3ヵ月の漫画を費やしてしまうことになるそうだ。話がそれたが、とにかく、生き残る作品にはギャグがある。戦後の代表作としては天才バカボンがあげられるだろう。50年代くらいの人々はバカボンを見て育ったのであろう。自分は生まれていないが。あるテレビ番組で日本のアニメの中でどれが一番海外(の一般人)受けするかという企画があったのだが、天才バカボンは見事に一位であった。キューティーハニーなどの色気物はアニメ耐性のない人には評判が悪く最下位であった。このように、漫画にあまり触れることがない世代にとっては、シリアスな話や色気のある話というよりかは、ギャグの話の方が導入としては入りやすいのかもしれない。それはおそらく、漫画という絵の性質なのではないか。
3.不条理ギャグ
ちょっと古い作品での自分の考察は上記の通りだ。とはいっても過去のギャグ漫画と現在のギャグ漫画は大きく違っていると思わないだろうか。私の言う昔のギャグ漫画というのは、登場人物の行動による面白さ、つまり人間の生活に潜む笑いである。私の好きな現代のギャグ漫画というのは、いわゆる、シュールギャグ(理不尽ギャグ)である。ある程度ストーリーに準拠しながらも、それが一般的な常識や脈絡というものを持っていないギャグ漫画のことである。自分が一番好きなのは澤井啓夫のボボボーボ・ボーボボである。この作品は、主人公がマルハーゲ帝国を倒すために戦うというバトル物のストーリーを持っているものの、理論理屈などは一切なく、その場のギャグのノリで勝ったり負けたりするのである。突然、何かに変身したり、体が真っ二つになっても生き返っていたり、ニンジンにしばかれていたり、まったく意味が分からないといってもよい。時には、バトルに完全勝利したと思いきや次のコマでなぜか体がぼろぼろになって負けている、というギャグまである。このようなシュールギャグはうすた京介の「すごいよ!マサルさん」の影響が大きいと言われている。この作品も随分とギャグが意味不明で、世間を騒然とさせた。おそらく、このような作品を我々が面白いと感じていても、サザエさんやバカボンを見ていた世代は全く面白いと感じない。それは、時代が移り、若者と大人の育った漫画環境がそうさせるのである。たとえば、「ぱにぽに だっしゅ」なんかのギャグ作品は、最近のアニメ文化の知識がある程度ないと享受できない作品であるため、一般うけしにくい。…ともかく一口にギャグといっても、昔と今とでは大きく変化をしているのは明白だということである。
4.ギャグと属性
勝手に語ってきたが、明らかなギャグ漫画ばかりあげているので、いまひとつピンとこない者も多いかもしれない。確かに、ギャグは漫画のなかに少しはあるかもしれない。しかし、現在進行形の漫画作品は先にあげたような日常ギャグ・シュールギャグであろうか。私は最近の作品の多くを見てどちらにも属していないと思う作品が多い。もちろん、それらの作品が漫画から外れているとは言っていないが、20世紀のアニメとは一線を画すものがあると思う。たとえばシティーハンター。これはハードボイルドなアクション(アニメしか見たことない)だが、獠が女にうつつをぬかすところや、それに対して香が100tハンマーで殴るようなギャグ要素が不可欠と言える。しかし、そのようなタイプのギャグは今のアニメ作品には少ないように思える。理論が飛躍しているようにも感じるが、今はギャグではなく萌えが漫画を支配しているといってもよいのではないか。
何を言い出すのかと思えば、これまた当然のことを…。と言われても仕方がないが、共通する部分があるように思える。今まで散々、「漫画の根源には笑いあり」のような主張をしてきたが今の状況をかんがみてみると、「漫画の根源には萌え」ありと言えるのではないか。私の言う萌えとは、キャラクターに萌えることができる作品という広義の萌えではなく、現代の「小さな物語」的属性分類されたキャラクター中心の物語のものを指す。現代の漫画は数人の登場人物が、物語のなかでコントのようなものを繰り広げる作品は少なく、キャラクター中心の物語が盛んであると思う。それはたとえば、ストーリーがキャラクターを“立てる”ためにあるような現象のことである。ツンデレキャラならそれを示すためのストーリーが構築されるのである。それは単に、シナリオだけの問題ではない。絵柄に関してもそのような属性漫画に最適化された絵柄が主流になっている。具体的な個所を上げれば昔の漫画は今より、もっと目がシンプルに描かれていた。そちらの方が、ギャグの表情が描きやすいことは言うまでもない。今みたいなオメメキラキラ状態では、ギャグ顔を表現する際には何らかの漫画的記号を使用しないことには難しいとさえいえる。時代が笑いから萌え、ギャグから属性に移ったことにより、シナリオや絵柄が変化した。つまり、漫画界全体の雰囲気を決定づけるジャンルが、21世紀になって変わったのだと私は考える。
5.ギャグとコメディ
そうは言っても、現在もアニメの中に笑いはあるではないか!そう思うのも無理はない。私の言う属性漫画・アニメにおいても笑える作品はたくさんある。では何が違うのか、ギャグとコメディの違いについて考えてみよう。ギャグというのはレトリックや奇矯な行動によるものである。コメディというのは人物の人間関係や言葉の掛け合いの中で生まれるものだ。まぁ言葉の意味に関しては諸説あるので、ここで使われる意味は一般には通じない。だが、この意味では20と21世紀の漫画の違いについて当てはまっているようではないか。20世紀的漫画の人物たちは必ずと言っていいほど奇矯な行動や、面白い名前やセリフを持ってはいなかったか。一方、21世紀的漫画についてはキャラが面白いと思われる個所はその属性にすべて内包されてしまっている。このような状況になればこんなことをするキャラクター、というように利己的なギャグではなく、周りの環境に応じた行動(たとえば好きな人の前では変な態度になってしまうツンデレ)によって笑いが生み出される。それはもはや笑いというよりかは萌えと言ってしまった方がしっくりくるではないか。過去の笑いはキャラクター性の中に取り込まれ消滅してしまったのである。
う~ん。最後までうまく纏まらなかった感じは否めない。まとめると、ギャグという漫画のもつ独自性が、昔より薄れ、今はキャラクターという性質がそれに代わって生まれてきているのではないかということだ。
おわり
X.追伸
まぁ、適当に頭にもやもやと浮かんだものを無理やり文章化しただけなので(いつもそうだが)、あまり深くは考えていない。この文章を読んでよくわからなくてもまぁ、赤槻もよくわかっていないということ。間違っているなぁと思ったことは指摘してもらえるとうれしい。あと質問も歓迎。この見方についてしばらく考えてみることにするが、そのうち忘れそうな気もする。何か明確な答えが出たらその時にまた、新しく記事を書くことになるかもしれないので、その時はまた読んでくれるとうれしい。
参考文献
『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』(東浩紀、講談社現代新書、2001年)
『ゼロ年代の想像力』(宇野常寛、早川書房、2008年)
アニメとは何か(辻真先、松籟社2009年)
対訳サザエさん①(長谷川町子,ジュール ヤング,ドミニック ヤング、講談社英語文庫)
天才バカボン(赤塚不二夫、講談社バイリンガル・コミックス)
ボボボーボ・ボーボボ1~21巻(澤井 啓夫)
セクシーコマンドー外伝すごいよ!マサルさん(うすた京介)
世紀末リーダー伝たけし(島袋 光年)
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