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動物化するポストモダン

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
 

出版社/著者からの内容紹介

注目の批評家による画期的論考!!物語からデータベースへ

オタクたちの消費行動の変化が社会に与える大きな影響とは?
気鋭の批評家が鋭く論じる画期的な現代日本文化論!

オタク系文化を批評する意義――オタク系文化はJポップのような国民的広がりをもつ文化ではないが、決してマイナーな文化でもない。オタク系の消費者は、きわめて活動的な層に限っても、数十万の規模を下げることはないと思われる。そしてさらに付け加えれば、オタク系文化はもはや日本だけの現象でもない。オタクたちが作り上げたコミックやアニメ、ゲームなどの独特の世界は、アジア地域のサブカルチャーに深い影響を与えている。最後にもうひとつ加えれば、日本のネット文化の基礎はオタクたちによって築かれている。したがって、いま、日本文化の現状についてまじめに考えようとするならば、オタク系文化の検討は避けて通ることができない。
本書の企図は、オタク系文化について、そしてひいては日本の現在の文化状況一般について、当たり前のことを当たり前に分析し批評できる風通しのよい状況を作り出すことにある。――本書より

■東浩紀(あずまひろき)
1971年生まれ。東京大学大学院総合研究科修了。批評家。専攻は哲学および表象文化論。著書に『存在論的、郵便的』――新潮社、第21回サントリー学芸賞受賞――『郵便的不安たち』『不過視なものの世界』――ともに朝日新聞社――などがある。
 

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感想:

東浩紀を最初に見たのは、NHKのサブカルチャー番組「ザ・ネットスター」にコメンテーターとして出演していた時。そこで東は様々な作品を独特の視点から鋭く語っていた。
とくに面白いと思ったのは、ケータイ小説「恋空」についての解説である。漫画・アニメなどを好むオタクも、この小説を面白く読めるというのである。東は「恋空」を読んだとき、ヒロインの田原美嘉に息吹風子(CLANNAD)のイメージをあわせたという。あたかもノベルゲームを読んでいるような感覚で読めたということであろう。もちろんこれは東自身がCLANNADという作品(とくに風子に対して)思い入れがあったと言わざるを得ないが、もっと根本的な構造に因があると考えられた。
 以下は、東の論でも私の論でもなく、清水義範(しみずよしのり・愛知淑徳大学教授)の論文「ケータイ小説とは女の子の孤独を癒す共通言語。だが〈文学〉は脅かされる」である。

  彼らが一番恐れるのは、裸の自己が孤独にさらされることである。ふつう文学はその種の孤独と直面するところから出発するのだが、逆にケータイ小説は孤独を物語の鋳型で包んで共有することで、孤独を忘れさせてくれるのである。そこには〈文学〉のような公の価値観や目標が存在しない。ケータイ小説に参加することで得られる満足感はどこまでもパーソナルなものであり、手帳に友人のプリクラが増えていく満足感と似ている。

 つまり、ケータイ小説の執筆の目的は自己の孤独性に向き合う文学的姿勢ではなく、自分が他人と一体になっている安心感である。よってケータイ小説の主人公には自己がない。ゆえに風子という女の子のイメージ(女の子のイメージが風子である東の脳内は問題視されるべきかもしれないが)を投影するわけである。
 このような視点を(なんとなくの感想だったにせよ)持っている東はオタクの文化論者としては第一人者であり、長いこと著書を読みたいと思っていた。これが、その最初の一冊である。

 内容は次のようである。
 まず、オタク文化を年代ごとに分けていた。小さな物語(各々のストーリー)を楽しむ80年代、大きな物語(作品一貫の世界観)を追い求める90年代、そして物語を解体し再構築するデーターベース型のゼロ年代。これらは非常に分かりやすくかつ納得できるものであった。そして本筋はポストモダン型のゼロ年代である。アメリカで始まった大量消費社会が生み出したポストモダンが人間をより動物的に仕立ててゆくことを解説し、それが日本のオタク文化にもあてはまることを示した。そしてより詳しく、現代のデーターベース型消費が無数の同人作品(シュミラークル)を生み出すことで、オタクの作品消費体系が変化したことを語った。ポストモダン社会、ゲーム文化、さらにはオウム真理教に触れることによって、その起因はオタクの単純な好みではなくポストモダンが生んだ集団的行動であることを説明した。ヘーゲル哲学からの人間の行動に対する考察は納得させられた。
 最後に余談として、動物化の変遷をノベルゲームの超平面性や可視性と重ね合わせ、あるゲームのストーリ(名前忘れた)と本書で述べられた、文化遷移が非常に似通っていることをあげて締めた。

 正直、多少難しくて読むのに1週間近くかかっている。
 序盤は別の文化論からの引用も多く今までの経緯を知っていないと辛い部分もあった。しかし全体的に見れば十分理解できる内容だったと思われる。
 現代のオタクがどうして二次創作を好むのか、に関する説は多々あるが、これは非常に包括的で人間の根本とまた世界の社会構造を根元に持っているためハッとさせられた。ヘーゲル哲学の支援者を持ち出して論理を展開する部分と、最後のゲームとの類似性には本当に舌を巻いた。
 少し詳しく書きすぎたが、まだ理解していない部分が多いのであまりアテにしないでほしい。続編が最近出たので、割とホットな本のようであるから、冷めないうちに「ゲーム的リアリズムの誕生」のほうも読もうと思う。
 オタク文化に対する考察について興味があるなら、割と早めに読んでおいたほうがいいのであないかと思う。

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